結婚する前の私と母の関係はというと、価値観の違いはあるものの、それなりに仲の良い関係でした。
だから、母の存在はときどき嫌になることがあったものの「そんなのはどこの家でもあるものだろう」との考えから深く考えたことも特になかったんですね。
ところが私たち親子の関係は、私が結婚をしたことをきっかけに大きく変わっていくこととなりました。
なぜなら、結婚後も何かと干渉してくる母親のことを私が、心の底から重いと感じるようになっていったからです。
今回は、私が母親との距離を見直して、自分自身を解放していった時のお話しをしたいと思います。
母親が重い原因とは?
母親の特性
うちの母は思いやりが強く、おせっかい。
自分の事よりも他人の事に対して一生懸命になる人なんですね。
もちろん、思いやりが強いってことは良い事ですよ!
しかし困ったことに、母親の優先順位は「他人が第一で家族の事が第二」。
だから私も何かと「相手のために自己犠牲をする」という習慣が自然に身についてしまいました。
また、母は頑固でこだわりが強く、自分の価値観を家族にも他人にも押し付けやすいタイプの人なんですね。
だから、自分の思い通りにならない場合は自分の思い通りにしようと周りを説得したり、巻き込んだりと、常に何かに突き動かされているよう状態で落ち着きのないのが我が母なんです。
父と母の関係
うちの父と母は、私が小さい時からとても仲が悪く、毎日のようにケンカばかりしていました。
そんな夫婦喧嘩を子供ながらにみていた私が感じたことは「多くの喧嘩の原因は主に父にあるのでは?」ということ。
だから、子どもの感覚なので本当のところは不明なんですが、私は幼いながらも「母を守ってあげなきゃ」とよく思っていました。
そして、「せめて私のことでは母が悲しい思いをすることがないように」と、勉強もお手伝いもよくする「いわゆる良い子」になっていきました。
結婚に伴い起きたこと
今の主人との結婚話が固まってきたころの話です。
当初の私たちは入籍と挙式の日程をゆっくり決めるつもりだったのですが、うちの母が「こういうことは早く済ませて欲しい」と私たちをせかし、主人の親も巻き込んだことで、入籍や挙式の日程は不本意な結果になってしまいました。
本当は、「私たちのことなんだから私たちのやり方でやらせて」と言いたかったんですけどね。
私は小さなころから何かと「決断の際には母親の納得するような決断をする」というクセがついてしまっていたために、NOが言えなかったのです。
そして私はこの結婚を機に初めて実家を離れたのですが、いま思えばこの実家との距離のおかげで、自分が解放され始めたように思います。
結婚後に起きたこと
結婚後、母は何かと私に電話をしてくるようになりました。
私は母にとって一番信頼できる話し相手なので、淋しかったのでしょう。
だから、ただの話し相手になるならいいのですが、度々かかってくる電話のほとんどはというと
「私が嫁としての務めをしっかりとできているかの確認や指摘」
だったんですね。
「ああしなさい、こうしなさい」と。
しかし、私と姑との関係は良好なので、ほとんどの内容が私にとっては大きなお世話。
電話のあとはいつも心がモヤモヤしていました。
「嫁としての振る舞いがきちんと出来ていない」と、私のことを一方的に決めつけて電話をしてくるのは本当に腹立たしかったです。
だから私は「もう母の電話には出たくない」となって、その後は忙しさを理由にして少しづつ、電話は無視するようになっていきました。
出産後に起きたこと
結婚したころの私は子どもは2人産もうと思っていたのですが、
・あまりの難産に出産が怖くなったこと
・私が虚弱体質であること
を理由に2人目は諦めることにしたんですね。
すると母は今度、「子供のためにも2人目は作ったほうがいい」と、言うように…。
しかも、「夫婦で話し合って決めたことだ!」と理由を話しても、なぜだか納得しなかったんですね。
なんでこんなに2人目を押してくるんだろうと不思議に思っていたある日、とうとう母親が納得しない理由の一つが判明しました。
なんと、母親が一人っ子を認めない理由の背景には、「主人のお父さんとお母さんに申し訳ない」という思いがあったのです!!
なぜコレが分かったのかというと、実はある日、母がこんなことを私に話したんですね。
「このあいだお義父さんとお義母さんに…」
「2人目の件のこと、謝っておいたからね」
と。
「はっ??」
私は言葉を失いました。
別に、お義父さんお義母さんからは「二人目を作って欲しい」などとは言われてなかったし、そもそも母が義両親に謝ることではないですよね。
私は子どもを産む機械ではないと、とても傷つきました。
記憶がよみがえる
私はその一件後、小さかった時の記憶が時々、思い出されるようになりました。
すると、怒りや憎しみの心がふっと、沸いて出てくるようになったんですが、
「こんなことを思ってしまう自分はなんてひどい娘」だと、沸いてくる罪悪感に対してたびたび蓋をしていました。
でも、次第に蓋をしきれなくなってネガティブな気持ちがあふれ出てくるばかりになると、そんな心の声に蓋をしたり外したりを繰り返していました。
すると、気が付いた時にはもう「自分は母親の事を恨んでいるんだ」ということを認めていました。
「私は母を恨んでいる」
このことを認めたら私は心が楽になったんですが、それと同時に苦しみも味わいました。
ネガティブな気持ちに覆われ続けててしまうことは、とても苦しいものです。
母を責めたり恨んだところで、何もかわりません。
だから私は次第に怒りを母親に向けるのではなく、このような対応をすることにしました。
もし小さな時のネガティブな記憶が蘇ってしまったときには「子どもだったときの自分の気持ちに共感してあげる」というルールです。
あのときの私は
「悲しかったんだなぁ」
「傷ついていたんだなぁ」
とか
「認めて欲しかったんだなぁ」
「甘えたかったんだなぁ」
とか、
そのときの自分の気持ちを想像して受け止めるようにしていったんですね。
すると、次第に気持ちが落ち着いてきて、今までは母の気持ちばかりを優先していた自分を止められるようになり、今は自分の気持ちを主張できるまでになりました。
だから、今までは何の連絡もせずに自宅を訪ねてくる母を受け入れていましたが、そんな母親に
「勝手に来ないで欲しい」
と、嫌だと思っていることは嫌だとハッキリ言えるようにまでなりました。
すると、そんな態度は母に通じたようで訪問は激減していき、母の私に対する干渉は減っていきました。
解放
私はあの一件を機に、今まで心に貯めていたネガティブな感情を外に出すことができました。
そして、それらを一つ一つ受け止めてあげることで、心がとても軽くなっていきました。
またそのおかげか、私自身も自分の息子に対して過干渉気味であることに気づくことができ、息子との関係も見直すことができました。
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まとめ
母の干渉は未だに続いているのですが、病気の一種と捉えて気にしないようにしています。
今はもう母親に対してハッキリ自分の意思を伝えられるようになったので、なんとかうまいこと親子関係は続けられています。
親との関係で悩んでいる方って、他にもたくさんいらっしゃると思います。
そんな中、もし親に対するネガティブな感情が生まれてしまった際には否定はせず、ありのままの思いを感じて認めるようにしてみてほしいです。
きっと、心が楽になっていきますよ。