当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。

子どもが育てにくい辛い…原因はあなたの子ども時代にあるかも!?

スポンサーリンク

子どもに対する愛って、あなたはどういった形が愛だと思いますか?

愛情表現は色々とあると思いますが、その愛って無償の愛ですか?それとも条件付きの愛ですか?

私は最近やっと「子どもに与えるべき本当の愛の形とは何なのか」が分かってきたような気がします。

子育てが上手くいかない場合、その原因は実は、あなたの子ども時代にヒントがあるかもしれません。

今回は心理学等で学んだ、愛と子育てについてまとめておこうと思います。

 

スポンサーリンク

子どもが育てにくい理由はなぜなのか

愛とは何か?

本当の愛とは、親が何の見返りを期待することもなく子どもをありのままに受け入れること、そして子ども自身も、自分で自分自身のありのままを受け入れることをいいます。

つまり、愛されることに何の条件もない「無条件の愛」が愛の根本です。

例えば子どもが生まれたころのあの、「ただここにいるだけで愛おしい」という、親が子どものありのままの姿を受け入れる姿、そして子どもも自分自身を、「私は私でいいんだ」と受け入れる姿。

これが無条件の愛です。

条件付きの愛への変化

多くの親は、ありのままの子どもの姿を子どもが生まれた当初は認められるのですが、その愛の形は子どもの成長に伴い「条件付きの愛」へと変化していきがちです。

その条件付きの愛とは何かというと、

「○○できる子どもは愛せる(認められる)」

でも

「○○しない、○○できない子どもは愛せない(認められない)」

というものです。

 

例えば、勉強をしない・できない子どもは愛せないし受け入れられないというのは、愛が条件付きの愛に偏っている状態です。

でも、勉強はしないし、苦手だし、困ったもんだと思っても、そういう悪い面も含めて私の大切な子どもなんだと、親がありのままの子どもを受け入れてあげるのが無条件の愛です。

 

愛の勘違い

親は子どもより人生経験が豊富で、よりよく生きていくための知恵は子どもに比べたらたくさん持っています。

だから親は子どもに生きていくための知恵を伝授しますが、その知恵を子どもが否定し受け入れてくれないと、親は子どもに対しいて不満を溜めるようになっていきます。

絶対に親の自分が言っていることは正しいと思ってしまいがちなんですね。

子どもが失敗したり、悲しんだりする姿は親としては見たくありません。

だから親は子どもが失敗しないように、間違えないようにと、つい口うるさくなってしまいます。

その口うるさいのも、親が親としての意見をただ子どもにアドバイスするだけなら問題ないのですが、親が子どもの意見も聞かずに何が何でも親の意見を通そうとするのは、場合によってはそれは精神的な虐待につながってしまいます。

子どものためにと思ってやっていることが、実は「愛」ではなく「支配」になってしまっているかもしれません。

 

子どもにも選ぶ権利がある

子どもは親の所有物ではありません。子どもには子どものやりたいこと、やりたくない事があります。

そのやりたい事やりたくない事は、親と同じとは限りません

もし子どもがAとBを選択する時に、親の経験上でAがベターだとしても、子どもがBを選択したら、親は全力で子どもを支えてあげる。これが本当の愛です。

子どもはBを選択したことで成功するかもしれないし、失敗するかもしれないし、それはやってみないと分かりません。

親の考えがAだからとAを無理やり選択させるのは「支配」であり「愛」ではありません

 

例えば洋服選び。

 

子どもに好きな洋服を選ばせる場合、もし子どもが親の趣味とはかけ離れた洋服を選んだと時に、子どもの趣味を全否定して親の趣味の服を与えるのは、子どもの成長を妨げてしまう行為です。

この洋服選びの選択権は子どもなのに、選択権がいつの間にか親になってしまっているんですが、こういった、本来は子どもが選択すべき事を親が選択ばかりしてしまうと、子どもの選択する能力は低下し、親離れできずに成長してしまいます。

また、もし子どもの選択が失敗だった場合、その失敗を責めてばかりいると、子どもは失敗をすることに対して罪悪感を抱くようになり、失敗をする度に自分を許せない完璧主義な人間になってしまいます。

失敗は誰にでもあること、人間には失敗することもあるんだということが学べず、息苦しさを抱えながら生きていくことになるかもしれません

もし子どもが洋服選びで失敗をしたとしても、失敗したのは子どもであって、その失敗は子ども自身が自分の責任で受け止めればいい事なんです。

もし子どもがその失敗で受け止めきれない気持ちを抱いて苦しんでいるならば、親が支えてあげればいいんです。これが本当の愛なんです。

 

過保護と過干渉

あなたは子どもに対して、こんな干渉をしていませんか?

 

1.○○できない子と決めつけている

「あなたは○○だから心配」

「あなたは○○できない子だから」

いつまでも子どもをできない子だと決めつけて心配し、つい手を出してしまう。

 

できない事、苦手な事があってもいいという考えを、あなたは受け止められますか?

 

2.自己実現

親自身の事は後回しにして、時間も労力も子どものために捧げてしまう。

「良い親」と認められたいと、他人から見られる自分を意識しすぎてしまう。

 

完璧な子育てなんてない、子育てには失敗もあるという考えを、あなたは受け止められますか?

 

▼関連記事

子供にうるさいと言ってしまう原因は自分自身の○○にあるかも!?
私は心理学やペアレントトレーニングなどを勉強する中で、気づいたことがあります。それは、子どもを怒ってしまう背景には子どもの行動に原因があるだけではなく、自分自身の性格や夫婦関係、嫁姑関係などが関係しているということです。イライラしている時っ...

 

3.コンプレックス

学校選びを子ども中心ではなく、親中心で選んでしまう。

入る学校=親の価値と思っている。

学業やスポーツでの子どもの活躍を素直に喜べない。

 

子どもは親の奴隷でも所有物でもないと、あなたは思えますか?

 

4.共依存

配偶者に埋めてもらえない気持ちを、子どもで埋めようとしてしまう。

「私を理解してくれるのは子どもだけ」など、親の老後の面倒は子どもの義務だと、子どもの人生を制限してしまう。

例えば「娘なんだから、親の近くに住むべき」など

 

愛は与えただけ戻ってくるとは限らないと、あなたは思えますか?

 

本来子どもが選択すべき問題を親が選択してしまう事を「過干渉」とするならば、子どもの成功も失敗も受け止めてあげるのが「過保護」であり、親が子どもにしてあげるべき事って、「過干渉」ではなく「過保護」だと思っています。

あなたがもし過保護ではなく過干渉の子育てに偏ってしまっている場合、もしかすると、あなたはあなた自身を認められていないのかもしれません。

そして、あなたがあなた自身を認められないのは、あなた自身があなたの親に過干渉で育てられたからなのかもしれません。

 

▼関連記事

母親が重い。罪悪感を捨てて母親との距離感を見直したら楽になった私
結婚する前の私と母の関係はというと、価値観の違いはあるものの、それなりに仲の良い関係でした。だから、母の存在はときどき嫌になることがあったものの「そんなのはどこの家でもあるものだろう」との考えから深く考えたことも特になかったんですね。ところ...
スポンサーリンク

条件付きの愛の弊害と乗り越え方

自己否定

条件付きの愛で育てられた子どもが、もしやってはいけない事をしたとします。

すると、その子どもは親の意に背けば絶対に親から愛してもらえないという恐怖に陥っていますから、その子どもは親の言うことを我慢して受け入れるようになり、自分の本当の気持ちは抑え、いわゆる「いい子」になろうとしてしまいます。

そして、ありのままの自分を受け入れてもらえたという経験が少ないままだと、その子どもは自分自身でさえ自己否定し、ありのままの自分を受け入れることができなくなってしまうんです。

 

この「自己否定」。

 

これこそ、子育てが上手くいかないことの一つの原因になっているかもしれません。

自分で自分を認めていないからこそ、子どもを通して自分のできなかったこと、得られなかったものを獲得しようとして「子どもを変えようとする」から、子育てで子どもとトラブルを起こしてしまっているのかもしれないんです。

自分を受け入れる

自分を愛せない人は、他人も愛せません

ダメな自分を許せない人は、他人のダメなところも許せません。

だから、自分を許せない人というのは、許せない人を変えようとして、暴力や激しい言葉で人を支配しようとしてしまうんです。

誰にでも苦手な事、できない事の一つや二つあります。

子育てをうまくやっていくためには、親自身がそういった「ダメな自分」を「自分自身で受け入れられているかどうか」を、心から気づく必要があると思います。

子育てのコツは「子どもは子ども」「親は親」という境界線をしっかり引くことかもしれません。

 

▼関連記事

主婦やめたい、疲れた。妻も母もやめたいと思った私は最低なのか!?
男性って結婚しても、日々の生活はあまり大きく変化しません。しかし女性の場合、多くの女性が結婚と同時に家事と仕事の両立が始まり、出産をすれば育児が始まって、保育園や幼稚園の送迎、先生とのやり取りやママ友付き合いなど、母として妻としてやることが...

 

まとめ

私は過干渉の親に育てられて生きてきました。

子どもの時は過干渉で育てられているなんていう自覚はありませんでしたが、生き苦しさは感じながら生きてきました。

しかし、私は息子の不登校のおかげで、その生き苦しさから抜け出すことができました。

実は、自分の息子が不登校になった時に、息子が「生まれてこなければよかった」「僕は何のために生まれて来たんだろう」と言ったんですね。

その時にふっと、私も私自身に対して同じことを思っていることに気づかされたんです。

そして度々、自分が自分自身に対してダメ出しをしていることに気づいて、それからは、自分の良いところと息子の良いところを探すように努力したんですね。

そうしたら、自然と自分と子どものダメなところを受け入れられるようになりました。

そして子どもも、自分で自分を受け入れられるようになり、不登校問題は収束しつつあります。

タイトルとURLをコピーしました